ゴゴという地鳴りのような音に始まり、突然下から突き上げるような激しい揺れ。「落ち着け」と自ら言いきかせつつ周辺を片付け、何とか目途をつけて床についたその次の夜、再びの激震。それは前回を上回る激しさで、更に長い時間続きました。「未曾有の地震に襲われた」「自分たちはその被災者なのだ」という信じられない出来事を無言の内に受け止めながら避難場所へと向かいました。

想像もしていなかった被災者としての生活。桁外れの余震の強さと頻度。先の見えない恐怖と不安。その全てが未体験のものでした。

「父兄会として安否確認しなければ」と思いついたのは皮肉にも自衛官である我が子から確認の電話を受けてからです。ところが、いざやってみると、電話がつながらない。つながっても地区の父兄会長がとても状況を把握できる状態にない等、予想を超える難しさでした。地震から四日目に取りあえずの第一報を全国自衛隊父兄会に入れましたが、誠に残念なことに会員の方一名が亡くなったことが判明したのはそれから約一ヶ月後、全壊、半壊などの被害の細部に至ってはいまだに把握できていない状態です。

一方、熊本県以外からも二名の安否確認依頼があり対応しました。熊本市内の対象者については避難場所と連絡先が分かっていたので比較的簡単にできましたが、もう一人は南阿蘇村の方で、なかなか父兄会の方と連絡が取れません。結局、最初に確認していただいたのは募集相談員の方でした。これは熊本地本との連携による成果です。

自ら避難しながら、時には父兄会以外の組織を使って行う安否確認の難しさを改めて思い知りました。

否確認の他に、父兄会として行ったのは、自衛隊の官舎地区に居住する隊員家族に対する激励の声掛けです。中には自宅を失い、官舎に避難してきたご家族に遭遇することもあり、その将来に不安を抱えた表情に胸を締め付けられる思いでした。すぐ近くに父兄会会員がいるということをお伝えできただけでも良かったと思います。

そんな中、被災現場に続々と駆けつける自衛隊の姿は圧倒的な存在感でした。その行動の早さ、確かさ、心配りのきめ細かさは何ものにも勝るものでした。特に今回は統合編成部隊として全国各地から部隊が参加し、大いに元気付けられました。ある父兄会の役員の方からは「遠方から来とんなはるけん、団子ば差し入れに持って行きました」と興奮気味に報告がありました。それぞれの地域のスタイルで活動をする現職隊員との交流の場があったことをお伝えしておきます。

回の震災において被災者という立場に終始することなく「父兄会員としてどうするか」という意識があったことは、これまで取り組んできた家族支援検討の最大の成果であろうと思います。また、その実践の中で課題も明らかになりました。

家族支援は、隊員家族を取り囲む現職隊員家族、父兄会、隊友会など分厚い組織で支える必要があります。現行のように支援の「ニーズ」と「マッチング」を進めるだけでは、支援組織が薄くなってしまう可能性があります。

熊本県父兄会は、これからも具体的な取り組みを通して家族支援の在り方を提言していきます。

国から寄せられた心温まる激励にこの場を借りて感謝申し上げ、現地よりの報告とします。

熊本県自衛隊父兄会事務局長

光永邦保